半世紀続く“まちのパン屋さん”が、日常と挑戦の拠点に。太田市・WANDERLUST(ヴァンダラスト)が目指す場所

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市根井直規 まちのわーくす

Photo by市根井

インタビュー

太田市の老舗ベーカリー「マイピア」が、2018年秋に「WANDERLUST(ヴァンダラスト)」へ屋号を変えてリニューアルオープンしました。経営するのは、創業者である父から店を受け継いだ大村田さんです。パンの世界大会にも出場した実力、そして『パンのパの字もない』学生生活で培った遊びの心で、家業である“まちのパン屋”はどのように変わっていくのでしょうか。

まるでアパレルショップのようないでたちの建築。その、暖簾をくぐる。ふわっと顔に当たる焼きたての香りに歓迎され、ああ、パンって本当に良い匂いだよね……などと思いながら、さて今日はどんなパンと出会えるか、トングを片手に旅に出る。どれを食べようか、これも良いけどあっちも捨てがたい。

太田市西本町に店を構える「WANDERLUST(ヴァンダラスト)」は、実は創業から半世紀近く経つ老舗ベーカリー。広くスタイリッシュな店舗では、朝7時からパンを買うことができる。

「世界観を強くしすぎず、20年経っても勝負できるシンプルな内装にしたかったんです。あくまでも、日常の中にあるパン屋としてやっていきたいので」

そう語るのは、WANDERLUSTのオーナーシェフ大村 田(おおむら でん)さん。パン屋に見えないパン屋の中で作るのは、パンの世界大会で日本代表にもなった実力を惜しまず振るう、世界で戦える「本物の味」だ。

東京に憧れ、東京で暮らした学生時代

WANDERLUSTはもともと大村さんのご両親が経営する「マイピア」という屋号のパン屋で、開業は1976年。2013年から大村さんへ代替わりしたのち、2018年の秋にWANDERLUSTとして生まれ変わった。

「パン屋の家庭」に生まれた大村さんが、自らもまたパン作りを生業にしようと考えるようになったのは、高校生時代のことだったそうだ。

「もともとマイピアは、自分が通っていた小学校の隣にあったんです。だから、友達みんなが知ってるパン屋、みたいな感じでしたね。それで『お前んち、パン屋でいいな〜』って羨ましがられていて、単純にパン屋っていい仕事なんだな、と思ってました(笑)」

そして、小学生の大村さんにとって、厨房は遊び場だった。両親が忙しそうに働く中、学校から帰ってきた大村さんは在庫のチョコをつまみ食いするなど、子どもらしく無邪気に過ごしていたそうだ。

そんな大村少年も年齢を重ねるにつれ、社会や仕事に関する認識が変わっていった。そしてある日、自分にはどんな仕事が向いているのか、自分のキャリアについて考えてみた。

「自分は勉強が苦手だし、デスクワークをしている姿も想像できない。これは向いてない、これも無理かも……そうなると、やっぱりパン屋かね、といった感じで。そういうことを、高校生くらいから意識し始めましたね」

パン作りの技術を学ぶために、まず思いついたのは専門学校に進学することだった。しかし父・隆秀さんにそのことを相談すると、返ってきたのは意外な返事だった。

「大学に行って遊んでこい、って言われたんです。おそらくは、『人脈を作れ』みたいな意味で。親戚の兄ちゃんにも『大学は人生の夏休みだぞ』なんて言われて、そういうもんなんだと(笑)。結局いくつか合格した中から、渋谷に近いっていう理由で東京農業大学の醸造化学科を選んだんですが、これが当たりだったんですよ」

我が子に家業を継がせたい、と思ったとき、多くの場合は「なるべく早く技術を身につけて、現場に出てほしい」と考えるのではないかと、勝手に想像してしまう。むしろ、子が大学で学びたいと願っても、そうさせないケースもあるだろう。

「そこは本当に感謝ですね、今となっては。大学では本当に遊びほうけていて、海外にも結構行っていて。パンのパの字もないような生活をしていたんですが、それで逆に視野が広がったというか」

大村さん曰く、「太田の人は東京に買い物に行く」。確かに太田市は群馬県の中でも東京寄りで、太田駅から渋谷駅まで新幹線を使わずに2時間弱で到着できる。中学2年生のときにスチャダラパーの「今夜はブギー・バック」を聴いて以来、音楽やファッションなどのカルチャーに魅せられた大村さんは、当時から渋谷や原宿に通って最先端に触れ、また憧れ続けていた。

「高校生の頃は、日本語ラップとロック、パンクにどっぷりでしたね。洋服に興味を持ったのもそれくらいから。兄貴がいる友達とかから『原宿にNOWHEREっていうかっちょいい店があるよ』みたいな情報が入ってきて、実際に行ってみたりとか。大学生になってからは新宿のパンクイベントに毎週行ってましたし、スケボーもやってましたし。とにかく遊んでましたね」

父や親戚から受けた言葉を自己解釈し、大学生活を東京で遊び倒した大村さん。アルバイトも掛け持ちし、月に数十万円稼ぐこともあったそうだ。

それでも最終的に選択したのは、やはりパン屋の道だった。

「洋服とか音楽が好きだったからか、周りにアパレル関係とかデザインに携わっているような友達が多くて。彼らが働いている姿を見て、稼いでるのってカッコいいなって思ったんです。それはバイトにたくさん入ることじゃなくて、『自分の仕事』で稼ぐってこと。特に海外の友達なんかはブランド立ち上げたりスタイリストとして世界を回ったりしていて、自分もパンでそこまで行ってやろうと思ったんです。頭ひとつ抜けて、そのステージが見てみたかった」

大学を卒業した大村さんは埼玉県のパン屋へ就職し、修行期間に入った。この店はいわゆる体育会系な雰囲気で、当時は3店舗展開、現在の店舗数は5倍以上に増えている超繁盛店だという。6年間の修行の中では、フランスやドイツへ研修へ出ることもあった。日々、たくさんの仲間たちと切磋琢磨しながらストイックに仕事をこなし、店長や統括などのマネージャー的なキャリアも経験したそうだ。

グランドオープン時のチラシ(※¥200チケットは終了しました)。食パン「傳(DEN)」はマイピア時代からのロングセラー

「結局、好きなんですよね。地元が」

大村さんがマイピアに帰ってきたのは、2008年のこと。

「だいぶ、小生意気な状態で帰ってきました。修行先でやったことを、実家でも同じようにできると勘違いして。でも実際は、田舎の夫婦がやってるちっちゃいお店と、繁盛店とでは全く異なるやり方が必要なわけです。だから親子大戦争が始まるわけですよ(笑)」

大学や修行先で得た知見を、家業に還元したい。それもまた熱意だった。しかし、大村さんは家業についてからの5年間で、群馬・太田での生き残り方を学んでいくことになる。

「太田の限界、とでも言いますかね。東京のベッドタウンで人口が多い街と、アクセスが悪くて財布の紐が固い街。同じ数字が出せなくて当然だということを、徐々に実感していきました」

働き方のギャップで悶々としていた大村さんを見て、修行先の師匠がパスを出した。2012年にドイツで開催されるパンの世界大会、「iba cup」へ出場することをすすめたのだ。

「こういう大会があるから出てみろって。自分が太田に閉じこもっていたから、ガス抜きのつもりで提案してくれたんだと思います。それで、たまたま勝ち進んだって感じなんですけど」

iba cupで日本代表に選ばれた大村さんは、見事4位入賞を果たして日本へ帰ってきた。そのころから、マイピアを実際に継承してゆく方向に話が進み始めたのだという。そして翌2013年。「これからはお前の責任で、何でも好きなようにやれ」。その言葉とともに、大村さんはマイピアの代表になった。

とはいえ、「繁盛店で働く」「繁盛店を作る」という生き方もある。スキルのある大村さんには、その選択肢もあったはずだ。そこで、なぜそちらの道を選ばなかったのかを聞いた。

「東京に4年、埼玉に6年くらい住んでみたんですが、根はやっぱり田舎者なんでしょうね。結局、太田がちょうどいいんですよ。若いころは、より便利な場所に住みたいと思っていましたけど、今はこの中途半端な感じが居心地いいというか。結局、好きなんですよね。地元が」

大村さんはさらに考えた。どんな事業の形であれば、地元で気持ちよくパン屋を続けることができるのか。

「ビジネスって、ふつうは毎年右肩上がりを目指すものですけど、うちの場合はそうではなく、自分もお客さんも楽しめるような店を作って、潰れない会社にしていく。そんな方向を狙うことにしました。お客さんの量を増やすなら、パンの価格を半分にすればいい。でも、そのぶん作るパンの数も増えて、働く時間も長くなってしまう。これでは誰も幸せにならないんですよね」

そして2018年。マイピアは、ロゴ、店舗、WEBサイト、すべてを一新する形でWANDERLUSTとしてリニューアルオープンした。

「建築は、スタジオシナプスの植木幹也さんにお願いしました。実はここを建てる前に、自宅を作ってもらっていて。植木さんって、本当に深く深く話を聞いてくれる方なんですよ。出来上がった家もシンプルでかっこよかったので、マイピアを建て直したいと思った時に真っ先に相談しました。その時にチームで再ブランディングすることを勧められて、植栽、ロゴを始めとしたグラフィック、WEBサイトなど全てをそれぞれの道のプロにお願いした形です」

パンを抱えて旅に出る大村少年をイメージした新しいロゴ
Design by Maniackers Design

「もちろん、田舎で商売するにあたってデメリットもありますけど、例えばこんな店を都内でやろうとしたら10億円あっても足りない。ここだからこそできる表現方法でもあるんです」

ここだからできる表現方法。過去に店舗内で開催してきた音楽ライブや落語などのユニークなイベントもそのひとつだ。

「好きなアーティストのライブやフェスにずっと行きたかったんですけど、パン屋って土日は絶対に働かなきゃいけないんで。でも自分が社長になってみたら、自分で企画して呼べるわけですよね、ここに。もともとはワークショップをやりたくて広めのスペースを作ってもらったんですけど、それも偶然ちょうどよかった」

フライヤーにも妥協なくデザインを介入させているのが大村さんらしい
Design by Maniackers Design

「太田は群馬の中でもアクセスがいい方ではないし、目立った観光地も少ない。人口も減る一方」と大村さんは言う。しかし、だからこそ技術を磨き、クオリティを落とさず、自分も楽しめるための工夫をする──こういった視座や働きかけ方は、本人が少し照れながら語っていた大学時代の「遊び」により培われたように見えた。

日常を売りながら前に進む

一度は東京への憧れで群馬・太田を離れた大村さんだが、事業上のメリット、そして大村さんの言う「根」、地元の心地よさから、いまここでパン屋を経営している。その経験があるからこそ発見できた、群馬という地域がもつ課題とは。

「うちはリニューアルの時からパンの価格が比較的高めなんですけど、この値段にしてからお客さんの数は確実に減っています。最初は『代官山じゃないんだから』とか、『建物だけカッコよければ高くてもいいのか』とか言われたこともありますね。群馬県内の他のパン屋さんってかなり安いから、まあ、比べられるとそうなるのは仕方ないのかな。だから、いま頑張って逆輸入していこうと思っていて。東京や世界で結果を出して、こっちに帰ってくる。それが一番もってこいな戦法だと思ってるんですよ」

また大村さんは、「パンが美味しいのは絶対条件」と語る。

「雑誌に掲載されたから、テレビに出たから、よく行列ができてるから……みたいなことではなくて、美味しさで買ってもらいたいし、居心地のよさで来てもらいたいんですよね。まあ商売下手と言われればそうなんですが。一時の爆発で短期的にお客さんが増えるより、普通に美味しいパンを作って、たまに呼びたい人を呼んで。そういうことができる予算が確保できていればいいんです」

太田で生まれたマイピアはWANDERLUSTになり、多様な風が混ざり合う「新しいパン屋」になった。しかし、店の名前こそ変わったものの、地域のパン屋さんとしての使命は引き続き果たしていく。

「ここでは、日常を売っていきます。自分たちにとっても無理のない範囲で。いま、若い世代の子たちはイベント的に食を楽しんでいて、いわゆる”映え”な食事には惜しみなくお金を出すけれど、普段食べるものが適当だったりするんですよ。だから、そういうところにアプローチしていきたいですね」

WANDERLUSTは、もうすぐ創業50周年を迎える。多くの経験と視点を乗せたこの店は、これからも太田というまちで日常と挑戦の拠点になり続けるだろう。


余談・・・「大学では遊んでいた」と語っていた大村さんだが、実は卒業論文が表彰され、卒業式で総代に選ばれるほど勉学もしっかりこなしていた。しかし卒業式当日なんと日程を1日間違えてすっぽかし、アメリカ帰りの成田空港で卒業式の終わりを知ったそう。

WANDERLUST(ヴァンダラスト)
住所:群馬県太田市西本町5-30

営業日・営業時間等はWEBサイトをご参照ください。
https://wdlst1976.com/

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