高崎市剣崎町の微笑庵は、厳選した素材を使い、季節を感じるお菓子を作る和菓子店です。保存料などは使わず、そのぶん日持ちのしないお菓子が中心で、できたてのおいしさを食べてもらうことを大切にしています。
看板商品は、群馬県産の上質ないちごのなかでも大粒の極上品だけを選び、白餡と羽二重餅で包んだ「ちごもち」。多い日には三千個を販売するという大変な人気です。

旬の素材を生かすため、ちごもちの販売期間は良質ないちごが採れる12月の中頃から5月中旬ごろまで。夏になればブルーベリーのお菓子や、本物の竹筒に入った涼しげな水羊羹。秋にはマスカットや栗のお菓子と、その時期にしか食べられないお菓子が年間通して季節ごとに並びます。季節感を表現することは和菓子という文化の大きな特徴であり魅力。微笑庵に並ぶお菓子を年間通して追いかけると、その魅力を存分に味わえます。

お菓子が美味しいのはもちろん、見た目に美しいことも微笑庵の特徴です。建物から包装まで美意識の統一されたデザインが、お菓子の美しさをより引き立てていて、心地よさや静かな高揚感を与えてくれます。
三代目となる現店主・宮澤啓さんは「つくりたての美味しさを提供する」「良質な素材を積極的に使う」「種類を絞りあれこれ作らない」「日本の美を感じさせるデザインで提供する」などお店として明確な方針を掲げていて、それがお店の隅々まで行き渡っている印象を受けます。

お菓子の美味しさの秘訣、お店の魂であるあんこへのこだわり、お店の理念をどう具現化させてきたか、新店舗に込めた思いなどを伺いました。
季節を感じる和の菓子
和菓子屋は朝の早い仕事。まだ薄暗い早朝に明かりが灯り、煙突から餅を蒸す白い湯気が立ちのぼります。
「私が最初に店に来るんですが、朝の4時ぐらいです。他のスタッフは5時半ぐらいから。ちごもちがピークになってくるとさらに1時間ぐらい早くなります」
訪れたのは12月の上旬。この日は秋〜冬の季節のお菓子と、通年販売の定番のお菓子、そして今季初めてのちごもちが作られていました。
こちらは新栗を昔ながらの伝承の手技で手間暇かけて茶巾しぼりにしたお菓子「栗まろげ」。

アッと驚くほどたくさんの栗が乗った栗おこわ。

このほかに栗蒸し羊羹「こうえつ」も並んでいました。
使っているのは、高崎市内、榛名と吉井の生産者さんの良質な栗。その年に採れた新栗です。9月上旬から12月ごろまでが栗のお菓子の販売期間。
透明感のある白の向こうに鮮やかな黄色がうっすらと透けるこちらのお菓子は、みかんを白餡と羽二重餅で包んだ「なごみ」。

和菓子の世界には、11月の最初の亥の日に食べる亥の子餅というお菓子があります。茶室の炉やこたつの使用を前に、火の用心を祈る意味合いのあるお菓子です。その亥の子餅にかわるような、ちごもちが人気の微笑庵らしい11月のお菓子を作れないかと考案したのがこちら。こたつを出したらみかんでなごむよねということで、旬のみかんを包み、なごみと命名しました。ちごもちのシーズンが本格的に始まるまでの約一ヶ月半だけ販売しています。

店主宮澤さんが熟練の技で練っているのは、本わらび粉だけで作るわらび餅。

わらびの根から作る本わらび粉はとても希少かつ高価な素材。実は世のわらび餅の多くはわらび以外のデンプンを使っており、本わらび粉だけで作っているお店は全国でも数えるほどしかないのだとか。あるお茶会に出張して練りたてのわらび餅を振る舞ったことがあるそうですが、「これほど美味しいものだとは」と大変喜ばれたそうです。
微笑庵のわらび餅は中にあんこの入ったもの。とろけるようなわらび餅に同じ柔らかさのあんこを包みます。
「一体になって溶けて、食べた後には余韻だけが残る。それには良いあんこでなければいけないし、甘さが軽やかでなければいけないのです」

あんこのこだわり
宮澤さんは自らを「あんこ大好き職人」だといいます。
「あんこ関係の本も雑誌も読みまくり、日本中のあんこを食べ歩いています。食べて炊いて、食べて炊いて、理想のあんこを磨き続けてきました。そして何より師匠「佐々木勝」(注:宮澤さんの修行先「菓匠京山」店主)の弟子だということ。師匠ほどのストイックなあんこLOVERを私は知りません。誰よりも美味しいあんこを炊き、その要諦を言語化できる方なんです。努力家ですが、天才だと私は思っています」
あんこ屋さんと和菓子屋さんは分業化が進んでいて、自店であんこを炊いているお店は実は多くありません。微笑庵はもちろん自前で炊いていて、こしあんとつぶあんそれぞれにこだわりがあります。
まずはわらび餅にも使われているこしあんについて。
小豆は煮ると渋い煮汁が出ます。この煮汁を捨てる工程を渋切りと言います。渋切りを何回やるかによって、そのお店の方針が見えてくるのだそうです。
「こしあんは、東京・赤坂のとらやに代表される『渋切りが少ない系』と、同じく赤坂の塩野に代表される『渋切りが多い系』に分かれるんです。とらやさんは小豆のうまみ・風味を引き出すために渋切りは一回。一方、政財界や芸能界にもファンの多い名店、塩野さんでは、渋切りを何度も行い、あっさりとした淡麗なあんこを炊いています」
微笑庵のこしあんは淡麗なあんこです。渋切りの回数は4回から5回。あっさりとしてさらっとした口溶けの、もう一個食べたいなというこしあんになります。

次につぶあんについて。
「理想的なのは、小豆のつぶがイキイキとして全然つぶれていないのに、皮は気にならないほど柔らかいという状態です」
煮すぎると皮が破れてしまうし、足りないと皮の硬さが気になってしまう。そこを上手に仕上げるのが職人の技です。こしあんと比べて野趣があるほうが良いので、渋切りは2回。つぶあんはガラス瓶に詰めて「みしょうあん」の名前で販売もしています。

つぶあんに使っているのは、北海道産の小豆と丹波産の小豆。なかでも丹波産の小豆は、極めて大粒である上に「腹割れ」と称される煮くずれが少ないことから「大納言」と呼ばれています。宮澤さんは何度も丹波地方の畑に足を運んでいます。
「志を高く持って栽培している生産者さんの畑は雑草一つ無いし、畝の作りから違います。こういう畑の小豆を使わせてもらっているんだとしみじみ感じながら炊いています」。
つぶあんの魅力を存分に堪能できるのがどら焼きです。

「毎日その日に炊いたあんこで作っているので、中のあんこがみずみずしくて、粒がイキイキとしているのが特徴です」

「皮も毎日焼いています。その日に焼いたものだとおいしさが全然違います。乳化剤を入れるとふんわりとした食感が長持ちするのですが、入れていません。乳化剤というのは油脂。入れていないどらやきはスッと溶けるんです」

こちらのお菓子「たまづさ」は、大量のつぶあんを投入して焼いたあんこの味がするカステラ生地でクリームを巻いたもの。もともとは修行時代に同じ部屋だった山梨県の和菓子屋さんのお菓子だそう。
「毎月のようにその同僚のところに、実家から『腹が減ったらこれを食え!』という感じで送られてきて、おすそわけでもらって食べてすごく好きになったんです。修行が終わってすぐ教わりに行って作らせてもらっている、愛着のあるお菓子です」
微笑庵の始まりと試行錯誤の日々

微笑庵は1930年に宮澤製菓として創業。三代目にあたる宮澤さんは3年間住み込みで千葉県の菓匠京山で修行し、25歳の時に戻ってきました。
戻ってきて数年が経ったあるとき、妻の和香子さんに「あなたは一生懸命がんばっているけど、どういう思いで作っているとか何に力を入れているということがほとんど伝わっていないので、インターネット上にものを書くとか、コンテストに出るとかそういうことをしてみたらどうですか?」と言われました。これをきっかけに、群馬県が主催する物産ブランド化事業にエントリーしました。修行先でとてもよく売れていた、食べる直前に自分であんこを盛ってサクサクの食感を楽しむ最中をお店でも出していたのですが、モノは良いのに全然売れず、その悩みをプレゼンしました。このときの審査委員長が、のちに微笑庵の名付け親となり、すべてのデザインを担当される高崎出身のデザイナー大木紀元さんでした。
ブランド化事業をきっかけに、もっとお店全体のデザインを総合的に考えなければと思い始めた宮澤さんは、その後大木さんに相談します。
「最初にお会いしたときに、当時『田舎』という名前で販売していた薄皮饅頭をお出ししました。大木さんはそれを気に入ってくださって、次のときに『名残の雪』という商品名と『微笑庵』という店名の入ったパッケージデザインを持ってきてくださったんです」
こうして店名が宮澤製菓から微笑庵となりました。2002年のことです。店名には言葉を使わず心と心で伝わることのたとえである禅宗の逸話「拈華微笑(ねんげみしょう)」から、説明しなくても心から心に伝わる上質な和菓子を提供する志が込められています。

微笑庵として新たなスタートを切り、日持ちの良い焼き菓子や最中を中心にデザインがリニューアルされますが、なかなか売上の伸びない日々が続きました。
「それから5年ほど経ったときに『自分が本当に作りたいお菓子って日持ちのいい焼き菓子とか最中なのかな』と自問して、初めて『違う』と気づいたんです」
そこで始めたのが、日持ちのしない季節限定のお菓子を頒布会の形で販売する企画です。一月の花びら餅から始まり十二月の栗ぜんざいで終わる一年間のラインアップを作り、毎月一回通販で買ってもらうというものでした。

「チラシを作って友人・知人にたくさん送りました。でもあまり売れませんでした。ショックでしたね。おまけに柔らかいお菓子が配送中にくずれてしまい、クレームの連続。結局頒布会の企画は3年で終了しました」
ただ、チラシ用に綺麗に撮影した写真と、説明の文章は残りました。
「自分が本当に食べてもらいたいものが写真と文章付きで明確になったのはこの企画があったからです。これらをわざわざ買いに来てもらえばいいんだと気づきました」
そしてこのなかにひとつ、当時から飛び抜けて人気のあるお菓子がありました。それがちごもちでした。

もともと1995年から「いちごもち」の名で販売していました。当初は近所のいちご農家さんから大きくて良いいちごだけを一日三十粒ほど仕入れて作っていました。それが毎日完売するようになり、もう一軒生産者さんを開拓して六十個作るようになり、それでも足りなくなったタイミングで、単なるいちご大福ではなく銘菓にしようと「ちごもち」とネーミングしてもらいました。2004年のことです。
それから徐々に販売数も増えていき、初めて一日の生産が一千個を超えたのは2011年。このとき大きな影響があったのは、高崎出身の布袋寅泰さんがツイートしてくれたことがきっかけだったとか。
現在は多い日には三千個を販売するというから驚きです。いちごは藤岡、富岡地区を中心に高崎、前橋も含め、群馬県中から良いものだけを選んで調達しています。
新店舗に込めた意図

2023年に旧店舗からほど近い場所に建てた新店舗に移転を果たしました。宮澤さんがこの建物に込めたもののひとつに、高崎の名建築、旧井上房一郎邸へのオマージュがありました。
井上房一郎は戦前〜戦後にかけて建築家ブルーノ・タウトの高崎招聘や群馬交響楽団の設立など高崎の文化・芸術に大きな功績を残した実業家です。微笑庵の命名とデザインを手掛けた大木紀元さんは、若かりし頃に井上房一郎に才能を見出され、さまざまな教えを受けています。
「大木さんは井上さんに、これから世の中がバブルのような景気に向かっていくというとき、アートや音楽やデザインといったものがどれだけ大事かということを教わったそうなんです。うちのお店も、物の豊かな時代にあって心が豊かになるようなお菓子を作りたいと、そんな思いがありました」


文化を伝えていくということ
今は通常時約10名、ちごもちのシーズンは約15名の体制でお店を運営しています。宮澤さんは最近、自分自身がお菓子を作ることそのものにフォーカスしているわけではないのかもしれないと考えるようになったといいます。
「職人さんがアートを作るようなお菓子というよりも、シンプルにできたてを提供したら和菓子ってこんなに美味しかったんだと、そういうものを提供できる人が報われる場所を作るために一生懸命動いているのかなと考えるようになりました」
2024年には独立したスタッフができたての和菓子の美味しさを伝えるお店を始めました。
「和菓子という文化の中にあって、先人から伝わってきたその魅力を次の人たちに繋いでいく。リレーランナーのような役割が果たせればと思っています」
宮澤さんは和菓子に関係ある本はどんどん買って読み、感想をブログに書くということを長い間続けています。また、和菓子に限らず大の美味しい物好きで、「いい店があると聞けばほぼ行きます」というフットワークの軽さで県内外を食べ歩いています。
「カステラなんていうのはもともと日本に伝わってきたときは植木鉢みたいなものに入れて焼いていて、形も味も違ったそうなんです。それが今は長崎カステラと言われるものが当たり前になって、スペインとかポルトガルの人が長崎に学びにくるそうです。和菓子って、饅頭でも羊羹でも一旦外国から来るんだけど日本なりのものにするという歴史を持っている。新しいものに対しての好奇心は持ち続けたいなと思います」
自らの専門分野もそれ以外も、古いものも新しいものも、分け隔てなく探求することが、和菓子の道にフィードバックされているのかもしれません。
微笑庵(みしょうあん)
住所:群馬県高崎市剣崎町1064-2
TEL:027-343-3026
営業時間:9:00 ~ 16:00 ※繁忙期は完売次第閉店することがあります
定休日:水曜日