人と文化を、足元から。歩みを彩る「靴磨き専門店」がつくる新しい価値

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市根井直規 まちのわーくす

Photo by市根井

インタビュー

前橋市にある「クツビガク」は、2021年に開業した群馬県初の靴磨き専門店です。日々ここで靴を磨きながらお店を経営する、シューシャイナーの木嶋さんにお話を伺いました。

鏡のように光を反射する、ピカピカの革靴。新品のようにも見えますが、実はどちらも3年以上履き込んだものです。

この靴を磨き上げたのは、前橋市・西片貝町で靴磨き専門店「クツビガク」を経営するシューシャイナーの木嶋友和さん。磨かれた靴の輝きと、そこに至る過程の美しさに魅せられ、2021年6月に開業しました。

「どうしてお店を始めたんですか?」と聞くと「靴を磨くのが楽しくて仕方ないからです」と返してくれた木嶋さんですが、その背景には慎重な選択と挑戦がありました。

厳しい会社員時代、偶然出会った靴磨き

もともとは住宅の会社で働いていたという木嶋さん。不況による就職難の世代で、「正社員になれれば、どこでもよかった」と話します。

「僕が就職活動を始めたのは、リーマンショックの翌年。『営業力があれば、どんな仕事でも生きていける』と信じて、営業職ということだけを決めて就職活動をしていました。いろんな会社を受けましたが、本当にどこにも採用されなくて。大学の同期たちもみんな参っていました。そんな中で、たまたま受かったのが住宅会社だったんです」

長い戦いの末、なんとか就職先が決まった木嶋さんでしたが、その会社では思うように力がふるえず悩み、別の住宅会社に転職します。

「5年間勤めてみましたが、正直な話、売れなかったんです。周囲の人からは『お前は売りそうだ』と言われていたのに、全然だめで。大学の4年間は、家具チェーンのアルバイトで羽毛布団を売りまくっていたのに(笑)。でも、転職先の会社で素晴らしい上司と出会って、そこから一気に成果が出せるようになりました。個人の営業力だけでなく、環境も大事なんだと知りましたね」

何種類もあるブラシを行程によって使い分ける

転職を機に、自分のスキルを活かせる新しい環境に巡り合った木嶋さん。その転職活動のさなか、偶然見ていたテレビ番組で「靴磨き」との出会いも果たします。

「夜のテレビ番組で『行列のできる店』みたいな特集をやっていて、美味しそうなパフェやラーメンが映される中、靴磨き屋さんも紹介されていたんです。そこで見事に磨かれていく革靴があまりにも綺麗で、『靴ってここまでピカピカになるんだ!』と興奮しました。実際に、有楽町の店舗に行って靴磨きをしてもらったら、さらに感動してしまって…一回あたり1000円ちょっとだったので交通費のほうが高かったんですけど、2週連続で行きました(笑)」

住宅会社の営業職ということで、日常的にフォーマルな服装を心がけていた木嶋さんですが、「靴」に注目したのは、これが初めてでした。

「みんな、服や車など、目に入りやすいところにはお金を使うんです。それに比べて、靴は優先順位が低い。でも、だからこそ差がつけやすいというか。靴が綺麗だと印象がいいし、心に余裕を持っている感じがしますよね」

靴磨きの魅力に気づいた木嶋さんは、その後すぐに自身でも靴磨きを試し、研究を始めます。

「もともと、物を綺麗にするのが好きなんです。包丁研ぎとか、芝刈りとか、洗車とか。達成感があって、気持ちいいじゃないですか。靴磨きに関しては実家にも道具があって、なんとなく使ったことはありました。でも、汚れを落とすことと磨くことは全然違いましたね。こだわってやれば、想像を遥かに超えてピカピカになるんですよ」

いいなと思ったら、すぐに行ってみる。さらに良かったら、自分でもやってみる。シンプルで難しいこのアクションが、機会をつかむ最初の一歩になりました。

「1週間の来客が0人」でも磨き続けた

ワックスをクロスで拭き上げると、鏡面のような仕上がりになる

すっかり靴磨きの虜になった木嶋さんは、自分の靴だけでは満足せず、家族、友達に頼み込んで靴を磨き続けました。転職先で住宅を引き渡したお客さんにも、アフターフォローのついでに「磨きたい靴ありませんか」と声をかけていたそうです。

「とにかく靴を磨きたくて仕方なかったので、これが商売にできたらなんて幸せなんだろう、と思っていました。でも、『お金を払って靴を磨こう』なんて考える人が、どれほどいるのか。そもそも市場があるか分からなかったんです」

心から楽しいと思える靴磨きという活動。でも、生業にできるかどうかは分からない……。「こんな夢を抱いてはいけない」と自分の気持ちに蓋をしていたそうですが、意外にも別のきっかけが木嶋さんを独立開業へと導くことになります。

「一般的な住宅会社では、営業・設計・インテリアコーディネーター・現場監督・アフターメンテナンスと、担当をバトンタッチしながらお客様と向き合うことになります。いろいろな専門分野を持った人間が関わるため多様なアイデアが生まれる一方で、イチ営業である僕がコントロールできる範囲ってすごく限られてしまうんです。僕だったらこうするのにな、と感じることが増えて、いつしか『ひとりで完結する仕事をやってみたい』と思うようになりました」

30歳を過ぎたころから友人の中にも独立を選ぶ人が増えたそうで、木嶋さんも漠然と独立について考え始めるようになりました。体ひとつで出来て、ひとりで完結できる職業とは何か。自身が持っているスキルを箇条書きする中で辿り着いたのは、「住宅コンシェルジュ」という仕事でした。

「住宅コンシェルジュとは、お客様と住宅の業者を繋ぐマッチングのサービスです。これを元住宅営業がやることで、家づくりの進め方や業者の見極め方まで、細かくご提案できるのではないかと考えたんです」

また、それと同時に「拠点」についてのチャンスも舞い込んできました。

「ちょうどそのタイミングで、知人から『空いているテナントを使ってみないか』という話をもらいました。住宅コンシェルジュ一本では収入的にも不安でしたし、『拠点があれば、趣味だった靴磨きも仕事にできるのではないか?』とも考え、思い切って靴磨きの店舗を構えることにしたんです」

新前橋駅前の店舗で営業を始めたころ(木嶋さん提供)

こうして最初に借りたのは、バックヤードを合わせても4.5畳程度の小さなスペース。住宅コンシェルジュの事務所を兼ねる、念願の靴磨き店がついにオープンしました。

「最初の1、2週間は、知人がお祝いを兼ねてたくさん来てくれました。これはいける!と思ったんですけど、ぱたっと人が来なくなったんです。1週間の来客が0人、なんてこともありました。住宅コンシェルジュの仕事のほうも報酬が入ってくるまでの期間が長く、その間貯金の残高はどんどん減っていって…青ざめましたね。なんとかしないとと思って、ショップカードを片手に展示場などに飛び込み営業にいきました。この時は、営業の仕事をしていてよかったと思いましたね」

移転する少し前の営業風景(木嶋さん提供)

ひとりでも多くのお客様に来てもらうため、お金をかけずにできることにはなんでも挑戦したという木嶋さん。その代表が、「24時間営業」というチャレンジです。

「開業して2ヶ月経ったころに、24時間ずっと営業するイベントをやってみたんです。その時は、本当にたくさんの人が来てくれました。『知ってはいたけど、来る機会がなかった』という方たちが、面白いことやってるねと足を運んでくれて、1日中ずっと磨いていました。あとは、SNSもやらなくちゃ……と思ってはいたんですけど、お客さんが全然いなかったので、自分の靴を磨いてインスタグラムに投稿していました(笑)。お金はかけられなかったので、とにかく自分の体と時間を使って活動をしていましたね」

西片貝町にあるクツビガク新店舗

新前橋駅前で約1年間、初めての店舗運営をおこない、現在の店舗には2022年6月に移転しました。「お預かりの靴や物販のスペースをもっと取りたかった」という言葉通り、店舗面積は約5倍に。お店に入ると、独特の香りと壁一面に並べられた革靴たちに目を奪われます。

「場所にこだわりはありませんでしたが、せっかくなら地元でできたらいいなとは考えていました。最初は、駅前の方がアクセスがいいからお客さんも来やすいかと思っていたんですけど、ふらっと立ち寄る人っていないんですよね。みんな調べて狙い撃ちして来るんです。だったら、駐車場があって車で来やすいところのほうがいいんじゃないかと思って現在の場所に決めました」

実際、クツビガクを訪れる人のほとんどは、インターネット検索やSNS、口コミを通じて来店します。「群馬 靴磨き」で検索すると、上位に並ぶのはクツビガクに関するページばかり。群馬県で唯一無二の靴磨き専門店として、シェアのほとんどを占めています。

「綺麗になるだけ」ではない、靴磨きの価値

ふだんの客層は、「仕事で革靴を履いている人」が半分、「ファッションとして靴が好きな人」が半分。年齢層は、意外にも30代〜40代が最も多いのだそうです。

また、日常的に靴の手入れをしている人だけではなく、「結婚式や卒業式に向けて靴を綺麗にしておきたい」「(油がたれた、大雨に降られたなど)アクシデントで汚れてしまった」など、ハレの日への備えや緊急時に利用する人も多くいます。普段は利用していない人たちも、みな仕上がった靴を見て「これ、自分の靴?」と、まるで手品を見ているかのように驚くそうです。

「購入以来、『最大限に綺麗になった自分の靴』を見たことがある人って少ないので、お預かりした靴を戻すと、みなさんすごく感動してくれるんです。自分はそもそも靴を磨くことが好きなので、靴がツヤツヤになるだけで達成感はあるんですけど、それで人に喜んでもらえるのは嬉しいですよね」

磨き始める前に、傷やへこみ、剥がれている部分がないかチェックする

また木嶋さんによれば、靴磨きは「靴の見た目を綺麗にすることだけが目的ではない」のだそう。

「靴磨きは靴を長持ちさせるための仕事で、その副産物として靴が綺麗になるんです。革靴って、何も手入れしないと乾燥して艶がなくなってきたり、シワの部分がヒビ割れてしまったりします。でも、ちゃんとメンテナンスしていれば10年以上長持ちするんですよ。『ボロボロな靴』と『使い込まれた靴』の違いは、ひとえに手入れの有無。革靴にもエイジングケアが必要なんです」

買い換えることを前提に「価格の安さ」で靴を選ぶのではなく、良質な靴、お気に入りの靴を愛用して履き続ける。靴磨きという活動は、「いいものを長く使う」ライフスタイルを始めるきっかけになるかもしれません。

そしてさらに、クツビガクは「靴好きのサードプレイス」的な機能も果たしているのだそうです。

「趣味として靴を楽しんでいる方にも『自分ではここまでは綺麗にできない』ということでご愛顧いただいていて、ときには『靴について熱く語りたい』というモチベーションでその場磨きのご予約をされ、完全リミッター解除で語り尽くし、スッキリして帰られるお客様もいらっしゃいます(笑)。靴が好きな人って『モノ』に対してのマニアックさがあるので、集めたり眺めたりしてひとりで楽しむことはあっても、誰かと共有することは少ないんですよね。それに加えて、そもそも趣味にしている人の数が少ないので、他の靴好きと知り合う機会もなくて。ここに来ると、僕はもちろん、他の靴好きと話せるので、お客様がお客様を歓迎するムードができています。そんなお客様たちも含めて、ここはすごくいい空間になっていると思います」

一人でも楽しめるし、誰かと分かち合うことができたらもっと楽しい。そんな穏やかな情熱の拠点としても、クツビガクは愛されています。

ピカピカの、その先

テレビで靴磨きを見かけ、実際に体験したことをきっかけに自分でも試すようになり、専門店の経営者にまでなった木嶋さんの次のステップは、「群馬県民の靴民度を上げる」こと。

「僕がたくさん靴を磨いて、みなさんにも靴磨きの価値を知っていただいて、自分でも靴を磨くようになったら、『群馬県民の靴は綺麗』みたいな文化を作ることもできるんじゃないかと思っています。そしてクツビガクという店が必要ない県になったら、逆に嬉しいですね。それが最終的なゴールなのかもしれません」

物販も強化しており、セレクトショップ的な展開も進めている。靴だけでなくオーダーベルト、パンツなども揃える

現在では「靴磨き講座」の依頼も多いそうで、企業や金融機関などから要請を受け、講師として靴の磨き方を教えているほか、オンラインでも靴磨き用品の注文を受けるなど、「靴磨き」という活動を媒介して多方面にネットワークを広げています。

「このところ、県外からいらっしゃるお客様も増えてきました。これまで通り靴好きのサードプレイス感も大切にしながら、誰でも訪れやすい雰囲気は保ちたいと思っています。緊張せず気軽に入れて、いろいろな属性のお客様が共存する、靴磨き屋の新しいあり方を目指しています」

「経営については、どこかで勉強したわけでないので、まずは目の前のお客様を幸せにすることを大切にしていこうと思っています。『誰かの悩みごとを解決する』ことが、仕事の基礎ですからね」

長年の営業職としての経験から生まれた、体温のある経営哲学。今日も楽しそうに靴を磨く木嶋さんの笑顔が、この街に新たな輪を育んでいます。

クツビガク

住所:〒371-0013 前橋市西片貝町1-304-12
TEL:080-4004-2330
営業時間:11:00〜19:00
定休日:月曜

https://www.kutsubigaku.com/

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