JR高崎駅から車で約30分。「少し山道を登ったかな」と思うと、そこには広大な自然が広がっていました。
都内からもほど遠くない場所に、こんな景色があることを知っていましたか?ここが高崎市十文字町。少しリフレッシュしたい、そんなとき気軽に訪れることができるのが自然豊かなこの町です。
2019年に高崎市で創業し、農業を中心とした複数の事業を展開している「十文字ヴィレッジ株式会社」。榛名山に位置する十文字町の活性化を目指し、日々奮闘する代表の飯野陽彦さんにお話を伺いました。
高校時代の通学の大変さが糧に
生まれも育ちも十文字町の飯野さん。高校時代は往復なんと3時間の山道を、自転車で登下校していたそう。
「体力と気力、我慢強さが身につきました。仕事を始めてから、みんなが大変だと思うことが、自分にはそんなに大変に感じなくて。人生のなかでも大切な3年間でしたね」
高校卒業後は大学で農業を学び、20歳から地元群馬の食品メーカーで働き始めます。
「親が農業をやっていたので、農業が学べる大学に進みましたが、行っているような行っていないような感じで、遊んでいました(笑)。大変そうな親の姿も見ていたので、そのとき将来農業をやる気は全くなかったです」
親戚のすすめで入社した食品メーカーでは、配達や営業を担当。
「もともと人と接するのは苦手でした。でも仕事で飲食店に配達に行くと、若いこともあって可愛がってもらえたんですよね。人の役に立つと褒められるんだ、っていうのが日々実感できてとても嬉しくて。そこから仕事が楽しくなりました」
とにかく怖いもの知らずで飛び込み営業をしていたという飯野さん。そんな姿が認められ、若くして埼玉や東京の営業所立ち上げを任されます。
「物件探しから、銀行とのやり取り、新規ルートの開拓まで全て任せてもらえて、会社の規模も大きくなっていって。それはすごく自信になりましたね」
震災の経験が、生き方を見つめ直すきっかけに
埼玉、東京、群馬を行ったり来たりで仕事に奮闘する最中、東日本大震災を経験します。
「丸ビルでの商談に向かう道中、地下鉄に乗っていたときでした。大きく揺れて、みんなパニック状態ですよね。なんとか商談を終えて帰ろうと思ったら、電車が動かなくて。川越までは、約40キロ。高校時代の通学路は片道22キロ。いけるな、と思って歩いて帰りました」
高校時代に身につけたタフさが、力に変わったときでした。約8時間の帰路、震災の影響を受けた街を見て、さまざまな思いに至ります。
「東武東上線沿いを歩きながら、いろいろなことを考えました。コンビニに入ると、水や食料は全て売り切れ。交通網も麻痺していました。帰宅困難になった人で溢れかえる街の様子を見て、東京って怖いなと思ったんです。そのあと群馬にいる家族に連絡を取ったら、なんてことなさそうに、普段通りの生活をしていたんですよね」
そこで思い浮かんだのが、地元の十文字町。
「計画停電での混乱や、近年の異常気象、日本の食料自給率の低さ。総合的に考えたとき、今の仕事でお金を稼ぐのもいいけど、それでは本当に困ったときに生きていけないなと思ったんです」
災害にも強い地元の土地。震災をきっかけに、自分の手で食料をつくって生きていくことを考えはじめます。
「震災後は、飲食店業界の景気が悪くなり、自分がいた食品メーカーもその影響を受けました。そこで会社として新しい分野に挑戦しようと、農業と観光を絡めたらおもしろそうだよね、という話になって」
自分が生まれ育った土地や農業に思いを馳せながら、社内で模索を続ける日々を送りますが、なかなかそのチャンスは訪れませんでした。
「社長に、ずっと会社を支えてくれ、とまで言ってもらえていた。でも40歳になったときに思ったのが『このままでは時間がもったいない』ということでした」
地元をはじめ多くの地域で農業離れが進み、農地が太陽光発電のパネルに置き換えられていくことに、飯野さんは危機を感じていました。
「農業って生きていくために絶対に必要な『食』をつくり出せる。それってすごいことじゃないですか。それが太陽光パネルに変わってしまったら、慣れ親しんだ景色が変わってしまうし、農業を残すこともできない。人もその土地からどんどん離れていってしまいます」
40歳を機に決断をした飯野さん。20年以上勤めた会社を辞め、地元の十文字町で事業を始めることにしました。
知識も経験も0からのスタート
「ここは荒地で、木も生えてしまいそうなくらい草ぼうぼうでした。でも事業を始めるならこの土地しかないと思っていたんです。高校時代、ランニングの途中でここへ来て、夜景を見ながら考えごとをしたり。女の子を連れてきたこともありました。町の中でも、ここが特に思い出の場所なんですよね」
起業してすぐは資金繰りも厳しい上に、農業のノウハウもなく、とても苦労したそうです。
「最初は知り合いに聞いて、にんじんの種を撒きました。でも時期が悪くて全然芽が出ない。なんとかして出来た小さいにんじんを売って、その売上を握りしめて次の種を買いに行く。その繰り返しでした」
地元ブランド「十文字大根」に着手
もともとこの町で農業をするからには、十文字町の土壌や風を生かして、昔からつくられている「十文字大根」というブランドをさらに伸ばしていきたい、という思いがあったと話す飯野さん。
「ここは土がすごく良くて、火山灰を含んだ黒土なんです。たくあん漬け用の大きな大根を育てるのにピッタリで、この地区でつくられる大根だけを『十文字大根』と呼ぶことができるんです。この土地に吹くからっ風を生かして干し大根をつくり、漬物工場でたくあんに加工して販売する。今まで漬物をつくった経験も全くありませんでしたが、地域のおばさん方にレシピを聞いて、おふくろの味に仕上げました。自分自身も子どもの頃から食べている思い出の味なんです」
(十文字大根写真提供:飯野さん)
前職での経験を活かして、うまく利益が出る農業の仕組みづくりにも力を入れていきます。
「野菜は天候や市場の相場で、売上が大きく左右されてしまいます。今年も異常気象で野菜の種が溶けてしまったり、虫が発生してしまうということも。9月の頭には大雨で泥を被ってしまいました。うちだけでなく、どこの農家でも困っている話を聞きますね」
そんなとき、農家を守るのが加工工場の存在。飯野さんは、十文字大根を栽培すると決めたときから、漬物加工ができる工場も一緒に建設することを考えていました。
「野菜の栽培だけでなく、加工まで一緒にできれば、安定した売上で農家を守れるんですよね。利益をしっかり出して、農地を生かしていきたい。会社の名前にもある『ヴィレッジ』は、集落や村という意味がある言葉です。さまざまな人がこの町を知って、来て、やりたいことをやって、この町でみんな完結させられたらいいなと思うんです。十文字町の農地を守っていくために、この町に興味を持つ人をひとりでも増やしたい。そのためにいろいろな取り組みを考えています」
多くの取り組みを行う中で、一緒に働くメンバーも次第に増えていきました。みんな農業が好きな人たちだといいます。
「特に募集とかはしていなくて、勝手に集まってきた仲間です。みんなそれぞれに育てたい野菜だったり、加工方法だったり、やりたいことがあるので放任主義で自由にやってもらっていて。ゆくゆくは独立してほしいと思っているので、3年経ったらここを卒業してもらうことにしています」
新しく農業を始めるにあたってハードルが高い要素には、ノウハウ、土地、機械の3つがあると話します。
「うちの会社に来たら、3年間働くなかでノウハウを習得していきます。土地は十文字町ならいくらでもある。機械はこの土地のみんなでシェアすることもできるので、独立も難しくないはず。そうすれば、農地をしっかり生かすことができますし、人が人を呼んで、どんどん広がっていく。それが目指すところですね」
「何もない」土地を生かしたキャンプ場づくり
地元十文字町で創業して約4年。今力を入れている取り組みのひとつに、キャンプ場があります。
「もともと農地だった場所をキャンプ場にするということで、どうしても行政の許可が必要なんですよね。今、その申請に数年がかりで取り組んでいます」
この場所へ人を呼び、農業体験をして、十文字町という土地を知ってもらうきっかけにする。行政担当者を説得する言葉にも、飯野さんの熱い想いが宿ります。
「都内から車や電車で2〜3時間の距離で、この景色が見られるのはすごく貴重です。都内に住む人にとっては、絶対に癒しになるだろうと思っているんです。自分も前職で働き詰めのとき、何度もこの景色を見て癒された経験がありますから。もちろん群馬県内から気軽に遊びに来てもらうのもいいですね。畑になっているネギを引っこ抜いて、焚き火で焼いて食べたり。最高の贅沢ですよね」
次々とかたちになる取り組み
キャンプ場と合わせて、レンタル農場の取り組みを行っているのも、十文字ヴィレッジの大きな特徴。豊かな土壌を生かして、自分自身の手で美味しい野菜を育てたい人にとって、強い味方になってくれます。
「レンタル農場はオーナーさんから管理費を頂いて、うちが農場を管理するシステムです。そこで採れた野菜は全部オーナーさんのもの。オーナーさんは、畑いじりをしたい個人の方から、野菜にこだわりたい飲食店の経営者の方もいて、ニーズはさまざま。十文字町で育てた野菜として付加価値がつけば、飲食店にもこの町にとってもいい効果になります」
レンタル農場の契約者は気軽に農業の一部を体験でき、農家の収益にもなる。そして、放棄された農地も活用できる。三方よしの仕組みというわけです。
飯野さんたちがつくる野菜は、地元の直売所やスーパーをはじめ、高崎にあるNAKAKONYAの朝市や、高崎OPA1階の高崎じまんでも買うことができます。
「自社の直売所が農園の近くに2ヶ所あります。そのほかには、朝市に定期的に出店したり。時期に合わせた野菜や、あると嬉しいハーブ類も販売しています。食育の授業で学校とも関わることがあって、ご縁があり学校給食に卸すことも。自分の出身中学の給食にも、つくった野菜が使われているんです」
農地を生かす方法として、畜産にも目をつけ、活動をしはじめています。
「親父がもともと酪農をやっていたんですよ。ただ牛の健康を考えると、僕は牛が自由に動けて、食べたい時間に餌を食べられるような環境をつくりたいなと考えていて。この町の耕作放棄地となってしまっている土地に、今後牛を放牧することで、牛が健康に過ごせる上に、土地が綺麗になる。野菜を植える以外で、この土地を生かすことのできる方法だと考えて、今準備をしているところです」
放置され、荒れた土地が綺麗になるだけではなく、牛がいることで、他の害獣が寄ってこないというメリットもあるそう。また、十文字ヴィレッジのマスコットキャラクター的な存在として、ヤギも飼育する予定なのだとか。
「ヤギのミルクからチーズをつくって、ここで収穫できる小麦やトマト、バジルと合わせてマルゲリータピザをつくりたい、なんていう話もメンバーから上がっているんですよ」
にんじんや大根といった野菜づくりからはじまり、漬物工場やキャンプ場などさまざまな取り組みで十文字町に人を集める飯野さん。農業に無限の可能性を感じ「まだまだやりたいことがある」と、さらなる構想を膨らませます。
飯野さんを中心に広がっていく「農地を残し、生かしていきたい」という想いの連鎖。気になった方はぜひ、十文字町を訪れてみてください。広大な自然があなたを癒してくれると思います。
十文字ヴィレッジ
群馬県高崎市十文字町416-1