薪を割り、生き物を観察し、望遠鏡で星を眺める。榛名山麓で暮らす「理科の先生」の暮らしは複雑性にあふれ、飽きることがありません。榛名山の林の中にあるご自宅で、日常の中に潜む変化、そして「見えないもの」を発見する面白さを語っていただきました。
僕たちをとりまく環境は、たえず変化しつづけている。すれ違う人、雲の色、鳥の鳴き声……どれを取っても、今日と同じ日は二度と訪れない。
だけど僕たちがそれを実感することは、とても難しくなっている。コンクリートや金属で出来た街は、高い耐久性や安全性と引き換えに「動き」や「発見」を失ってしまったように思う。
僕が紀伊国屋書店で偶然手にとった一冊の書籍。それは、榛名山で自然と触れ合いながら暮らしている様を記録する「理科の先生」の手記だった。
昨日まで気づかなかった植物が自生していた。野鳥の引っ越しを見届けた。シビアな条件でしか見られない星を見にいった。
生き生きと描写される山の景色。まるでこちらが榛名山の自然のなかにいるような、穏やかな気持ちになる言葉が並んでいた。
本の最後のページを見ると、著者の栗原直樹さんは高校で理科の先生をされていることが分かった。しかも職場である埼玉県の高校には、1時間30分かけて通勤しているのだそうだ。
「彼にお話を聞けば、僕たちが毎日を楽しく過ごすためのヒントが見つかるかもしれない……。」
そんな希望のような邪念のような気持ちを秘めながら取材依頼のメールを送ると、すぐさま快諾をいただくことができた。
栗原直樹さん
埼玉県熊谷市出身。埼玉県の高校で理科を教えている先生で、専門分野は地学。
2004年、榛名山の西麓に移住し、出会った生き物などを自身のページ「標高700m 榛名山麓の自然と暮らし」に記録している。
決め手は、薪と星。
1月の榛名山。取材の数日前に降った雪がところどころを白く彩り、いまが冬の中間点であることを告げていた。
昂ぶる感情を抑えながら、まずは、榛名山麓で暮らすことになった経緯から伺ってみたい。
— どうしてこの榛名山麓で暮らすことにしたのでしょうか?
栗原さん これが長い話なんですけどね。出身は熊谷で、埼玉で教員採用試験を受け埼玉の高校へ勤めました。そのころは連れ(奥様の紀子さん)が栃木県益子町で製陶の仕事をしてましたので、益子町から職場に通勤していました。
— 登り窯というのは……?
栗原さん 薪を燃やして使う、大きな窯のことです。薪を燃やすとなるとそれなりの場所が必要になるので、土地を探し始めたわけです。
栗原さん 私は私で星が好きで、よく天体観望していたのですが、益子の夜空が明るくなってしまって。空が暗く、星が見えるところを探していました。
— 薪が使えて、かつ星が綺麗な場所。
栗原さん それで、赤城山のあたりが良いかな……と群馬県に入ってきたわけですが、今度は前橋からの光が明るくて。北側から山沿いにどんどんどんどん動いて、榛名山に。「このへんの雑木林、いいなあ」と思い、今の場所に決めました。
— もともと林だったところにご自宅を建てられたのですね。
栗原さん そうですね。大部分は職人さんに頼んだのですが、自分たちもチェーンソーで木を切りました。今思えばここの林を壊してしまったな、と心に引っかかっていることでもあるのですが……。
それと、家の建築前、まだ更地の状態のときにテント泊を試してみたのですが、夜中にイノシシと遭遇しまして(笑)。私は寝てたんですけど、「何か近づいてきてるよ」と連れに起こされて。まあ林だから、不思議なことではないのですが。
ここには、常に「やること」がある
— こちらで暮らし始めてから、生活は変わりましたか?
栗原さん ここにいると毎日飽きないというか、常にやることがあります。街の中にいたときは、起きて、身支度して、朝食をとって……といった感じですが、ここでの生活は、朝起きたらまずストーブを炊くための薪を取りにいかなきゃならない。そして薪を持ち上げたら、何かがあるんです。カメムシがいたり、ネズミが齧ったクルミが転がってたりする。
— 面白いですね。
栗原さん ストーブに火が入ったら、鳥の餌台に餌を入れます。置かれたヒマワリの種を見て、待ってましたと鳥たちがやってくるんです。もちろん毎日珍しいことが起こるわけではありませんが、今日は何が来るんだろう、何か来ないかな、と期待してしまいますね。
栗原さん ある日、フクロウを誘致しようと巣箱を作ってみたのですが、実際に使っていたのはテンやムササビでした。テンは鳥類を食べてしまう生き物だけど、フクロウも肉食だからいい勝負かもしれません。結局その巣箱にフクロウは現れていませんが、自分が作ったものを生き物が使ってくれるのは嬉しいですね。
必ず持ち歩くカメラ、大好きな図鑑
— 自然を楽しむ上で、よく使われる道具はありますか?
栗原さん 虫を撮るときには、接写ができるカメラを使っています。これが虫好きの中でも話題になっていて、みんなこれを持ってるんですよ(笑)。いつでも撮影ができるように、腰につけて持ち歩いています。
栗原さん 捕獲する時には、酢酸エチルを染み込ませたティッシュを入れたビン……通称「毒ビン」を持ち、そこに入れて持ち帰って、顕微鏡で観察します。なるべくのことなら捕まえたくないのだけど、捕まえないと観察ができないので……申し訳ないんだけども。
— 『榛名山麓はくぶつ日記』には、図鑑がよく登場していましたね。
栗原さん そうそう、私は図鑑を見るのが好きなんです。一冊あたり数万円はするんですけどね。小さい頃に使っていた図鑑は詳細があまり書かれていないので役に立たなくて、これくらいのものを買うしかないんです。
— ちょっと中身を見せていただきましたが、カミキリムシの違いが全然わからないです……。
栗原さん 毛が生えているとか、トゲが生えているとか、そういった微妙な違いは顕微鏡で見ないと分からないことが多いです。また、出会った生き物を家で調べてみても、あまりに似ているものが多くて、名前が決まらなかった、なんてこともよくあります。
おもちゃではなく、望遠鏡をねだるような子どもだった
— お子様のころから自然や生き物がお好きだったのでしょうか。
栗原さん そうですね。私はあまり大きな自然の中で育った子どもではありませんでしたが、虫が好きでした。男の子の虫好きには2種類あると思っていて、「カブトムシやクワガタムシを喧嘩させて楽しむタイプ」、それと「虫の形や生態に興味があって、育てたいと思うタイプ」。
私は後者で、小学生の頃から虫の写真も撮っていました。当時のカメラは高価なものでしたが、富士フイルム勤めの親戚がいたこともあって、手に入れることができたんです。
— ご自宅選びの基準となったように、星もお好きですよね。星に興味を持ったのはいつごろでしょうか?
栗原さん 星も同じくらいですね。親に、おもちゃではなくて望遠鏡をねだって買ってもらいました(笑)。
そのあと一時期、熱が途絶えたのですが、中学生の頃に宇宙戦艦ヤマトが放送されて再燃しました。さらに天文雑誌の新聞広告で「夜明けの天の川をバックに飛ぶみずがめ座流星群を見よう」というコピーを見て、ビビっと来て。そこから現在にかけて、ずっと好きですね。
— 星は、どのようなところが面白いのでしょう。
栗原さん 今思えば、見えないものが見たかったのかもしれません。
— 見えないもの、ですか。
栗原さん 星って肉眼では見えないですよね。粒としては見えるけど、星雲とか星団とかはいくら見てもモヤにしか見えない。でもそれを写真に撮ってみると、くっきりカラフルに出てくるんですよね。光を蓄積することで、写真として星が見えてくる。そこに興奮があったのかもしれません。
そういえば、これは動物に関しても言えることですね。たとえばイノシシとかタヌキとかの野生動物って、チラッと見ることはできても、詳しく観察することはなかなか難しいわけです。そこで「しっかり見たいな、撮りたいな」という気持ちが生まれて、試行錯誤して撮影に挑戦するんです。
見ようと思わなければ、見えてこない
— 我々が栗原さんのように自然や生き物を楽しむには、何から始めたらよいのでしょうか。
栗原さん 楽しむには、か……。考えたこともなかったです。
そうですね、たとえば鳥を見かけたときに、「鳥がいる」で終わるのではなく、ひとまず双眼鏡を覗いてみるとか。双眼鏡があれば、名前はわからなくても特徴はわかりますから、「こいつはこないだの鳥とは違うな」といったふうになる。
栗原さん 植物も、色々なものを見てやろうという気持ちを持っています。最近は苔(こけ)に興味が出てきて、図鑑も手に入れました。まだ苔を見ただけでは名前がわからないけれども、一つの石に数種類の苔がついていることを知りました。これも、見ようと思わないと見えてこないかもしれないですね。
— 嫌われがちな生き物である虫も、注意して見てみると面白いですよね。
栗原さん そうですね。蝶やトンボは目線の高さを飛ぶけれども、地面を這う虫はわざわざ下を向かなければ気づけない。悪臭で嫌悪されるカメムシなんかも、翅を観察するととても綺麗なんですよ。ちなみに、カメムシ図鑑は三巻まで出ています(笑)
— カメムシだけで三巻も…!何事も、見ようとすればするほど奥が深いのですね。本日はたくさんお話できて楽しかったです。
栗原さん こちらこそ、わざわざ榛名山までお越しいただいてありがとうございました。また、いつでも遊びに来てくださいね。
取材を終えて真っ先に思ったのは、「山って、やっぱりいいなぁ」ということ。
それと同時に、栗原さんにとって自然は「趣味」ではないのだな、とも感じた。
生き物や星を観察し、その変化を楽しむこと。それは日常そのものであり、強すぎる熱量を持たない。
粛々としているからこそ興味は長続きし、明日も明後日も飽きることがないのだ。
これから群馬はさらに暖かくなり、草花が背伸びを始める。
今年こそは、何か面白いものを見つけてみたい。
そんな心構えと双眼鏡を持って、春を待つことにする。