生産者・製粉所・食べる人とともに「この土地のパン」を追求するクロフトベーカリー

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荻原貴男

Photo by市根井

インタビュー

前橋の市街地から少し離れた住宅街の小さなお店、取材で話を聞いている間にも次々とお客さんが訪れ、ひとことふたこと言葉を交わしながらパンを買っていきます。気持ちのいい街のパン屋の光景です。

並ぶパンはバゲットやクロワッサンのようなフランス系のパンもあれば、イタリア系のパン、メロンパンやコッペパンのような日本のパンまでさまざま。商品説明のカードに素材やその生産者の説明が書かれているものも多く、それを読むのもここでの楽しみのひとつ。知らない味を知り、世界が少し広がるような感覚があります。背景にある理念から目指すパン屋のあり方まで、クロフトベーカリー店主・久保田英史さんにお話を聞きました。

パンは雄弁にパン屋を語る。まずはこの日並んでいたパンのいくつかを見てみましょう。

「ブルーベリーの全粒粉スコーン」は昭和村の後藤さんのブルーベリー、すみや農園さんの小麦粉ニシノカオリ全粒粉を使ったスコーン。

伊勢崎のいがらしふぁーむさんのズッキーニを使った「ズッキーニととりつくねのタルトフランベ」


「古代穀物のパン」は有機・農薬不使用のキビ・アワ・ファッロたっぷりのパン。四割は福田農園さんの農林61号という小麦粉を自家製粉したもの。ファッロと呼ばれる古代小麦も福田農園さん。きび・あわは熊本の東さんという農家さんの有機栽培のもの。

赤城山の麓にあるハム工房ぐろーばるのハムを使った「ジャンボンコンテ」

地元の素材を使っているものが多いことに気づきます。良い素材に出会うと、その素材ありきでパンを作ることも多いという久保田さん。目指すのは「ここでしか作れないパンの店」です。

地域の特色をパンに反映させる

例えばこちらの「カントリー」というパンは群馬県産の小麦100%で焼いたパン。いくつかの品種をミックスして使っていて、そのなかに藤岡市の福田農園さんが生産するW8号という小麦があります。群馬県の農業試験場が開発したもので、うまみすなわちアミノ酸のもとになるタンパク質の含有量が多く、奨励品種として醤油の醸造やパンづくりに用いられてきました。ただ製パン性が低く、現在はより製パン適性の高い品種に奨励品種の座をとって代わられています。

久保田さんはこのW8号を、醤油を醸造する時と同様に麹を使って糖化(でんぷんをブドウ糖に分解)させて使っています。そうすることで口どけのよさやフィニッシュの甘さが出せるのだそうです。

「以前はうまく使うことができず奨励品種からは外れてしまいまいしたが特色や味わいのある品種です。群馬県の農業試験場で作ったものなので、群馬のパン屋が使わないことには途絶えてしまう、そうなるとパンの表現も狭まります。こういうものをみんなで学んで使えるようにしたいと思っています。県内のパン屋だと例えば桐生のnojiさんや富岡のスリジェさんもW8号を使ってすごく良いパンを作っています」

地域の特色ある小麦を使おうという志を持ったパン屋は全国各地に少しずつ増えていて、久保田さんはその趣旨で活動する非営利活動法人「新麦コレクション」の理事にもなっています。

「同じレシピでも各地のものを使えば味も違います。パンを好きな人がどこか旅に行った時には、そこのパン屋で地元の品種で作ったパンを味わう、そんな楽しみ方が広がっていくんじゃないでしょうか」

クロフトベーカリーでは酒やビールの醸造技術を積極的に取り込もうとしていて、その一環で麹をよく使っています。現在使用している麹は渋川市の針塚農産という漬物屋さんのもの。この麹のルーツが、実は前橋の街中で長年愛されていた片原饅頭という饅頭屋さんで使われていた麹なのだそうです。

「僕らはそれを使うことで前橋のアイデンティティをパンに込めることができる。パンというのはもともと他所の文化のものですが、いま小麦の品種とか麹だとかを使って、その土地と紐付けをしている人たちがだんだん出てきています。『地域によってパンが違う』という状況にようやくなりつつあります」

料理の世界では2010年ごろから「地産地消」や「farm to table (ファームトゥテーブル)」という考え方がおいしさ・安全性・環境負荷などの観点から注目を集め始めました。これまでにある程度浸透してきた印象があり、地域の特色を打ち出すレストランも多くあります。パンの世界でも同様の動きが起き始めていて、久保田さん曰く「この3〜4年でパンのレベルは劇的に上がっている」のだそうです。

「育種・農家・製粉・パン屋」という良好なサイクル

高校時代に環境問題への関心から薪窯のパン屋に興味を持ったという久保田さんは、大学卒業後6年半ほど国内のパン屋で働き、その後渡米してカリフォルニアでさらに2年間経験を積みました。帰国後前橋の石窯メーカー増田煉瓦株式会社にテクニカルベイカーとして3年ほど勤め、2012年に独立してクロフトベーカリーをオープンしました。

コロナ前の4年間はアメリカの卸専門のパン屋でレシピ開発の仕事にも携わっていました。

「年に2回渡米して、顧客のレストランシェフや航空会社の担当者と話をして求めるものを形にして、現地のパン職人に作り方を教えて帰ってくるという仕事です」

このころのアメリカ西海岸のパン事情には、大いに刺激を受けたそうです。

「リーマンショックの前にアメリカにいた時は全然地元のものを使えなかったのに、8年経ってすごく地元のものが手に入るようになっていてびっくりしたんです。当時パンの世界の先端はアメリカ西海岸と言われていたんですが、その背景には育種つまり品種改良から始まって、農家、製粉所、地元のパン屋という非常に良い形のつながりができていたんです」

現代の品種改良された小麦は収量や機械で大量生産する際の効率の良さを優先してきました。過度にタンパク量を上げてしまったせいで糖分の摂取過多になりがちで、一説にはアレルギーの原因なのではないかとも言われています。そこで、アメリカの育種家たちはもっと健康に良いもの、おいしいものを育種していこうという考え方を打ち出し始め、「ヘリテージ・グレイン」と呼ばれる小麦が見直され始めました。日本語だと「在来種」のニュアンスに近い、少し前の品種のことです。

「それぞれの地域に根付いてゆるやかに交配されてきた品種で、ある程度収量も確保でき、パンにしたときの良さのあるものです。それを製粉所主導で農家さんに種を渡して直接契約で栽培してもらい、全量買取し、挽きたての粉をパン屋に直接届ける。そういう仕組みがありました」

製粉/製粉所の重要性

ところでわたしたち一般消費者が製粉について意識することはほとんどありませんが、製粉の違いはパンの味を大きく左右するのだそうです。

「多くの日本のパン屋が知らないことなんですが、製粉会社の小麦って全然香りがしないんですよ、でもフランスの粉ってふるうと香りが立つんです。その違いは何かというと、小麦には粒の外側と胚のところに油分があって、そこに香りや栄養が含まれるんですが、大手の製粉会社はそれを徹底的に取り除いて製粉するんです。なぜなら油分が付いたままだと酸化して保存性が悪くなるからです」

対して、地元の小麦を地元の製粉所で製粉し日を置かずにパンにするサイクルがあれば、香りや栄養も残したまま小麦の個性を生かした製粉ができるというわけです。

日本では全国的に見てもそういった地元の小さな製粉所はまだほとんど無いのですが、群馬には久保田さんが大きな信頼を置く製粉所があります。今部文彦さんが2018年に立ち上げた高崎市のコンベ製粉所は、農薬不使用小麦専門の製粉所。久保田さん曰く「ここが無かったらおいしい地粉(地元の小麦を個性を生かしたまま精白した粉)は手に入らない」という貴重な存在です。

地域の製粉所が機能すると、それぞれが自分の仕事に専念できるというメリットもあります。

「農家さんは農業に、パン屋はパン作りに徹するということが可能になります。現状ではパン屋は長時間労働、製粉までやるのは厳しいんです。日本のパン屋も働き方改革について考える必要があります。変わっていかないと若い子たちが入ってこないので」

伝統を尊重しつつ超えていく

アメリカでの経験から得たものに、ヨーロッパの常識・伝統を自由な発想で越えていく姿勢があったと久保田さんは言います。

「ヨーロッパのもともとの文化を知ることはもちろん大事で、フランスの粉の質だとか、料理の体系、文化とか、それらを学ばなければいけないのは確かです。ただそれに縛られるのではなく、その上で自分自身の表現を探していくのがいいんじゃないかと」

伝統を尊重しつつも縛られず、自分の表現を追求する。そのよい例がクロフトベーカリーの「名刺がわりのパン」であるバゲットです。

「ある土地のパンを作ろうというとき現地の水の硬度を調べるんです。WHOのホームページを見ると各都市の水の硬度を見ることができる。フランスのパリは280と出てくる。一方ここの水は敷島浄水場の水で、前橋市に問い合わせをすれば年平均の数値を教えてくれる。そこから 超硬水のミネラルウォーター『コントレックス』を使って280に合わせて、現地の水の硬度を再現する」

「粉もフランスのパン職人の使う粉の灰分やタンパクの値に近いものを、国産の小麦で用意して、水の硬度は現地そのものにして、そうすることで現地を尊重しつつここで作る意味ができます」

バゲットとしての本質は外さずに「群馬の」「クロフトベーカリーの」バゲットをつくる。ルーツとなる食文化と素材の地域性、その両方で楽しませてくれるのがクロフトベーカリーの魅力です。

小さい個人店の大きな役割

大きな量を作っているわけではないので小さく弱い存在だと思われがちな個人店。しかし久保田さんは、個人店には大きな役割があると言います。

「うちは対面で販売しているので特にそうですが、生活者の人たちがいま何を求めているのかというのを一番よく感じられる場所だと思います。小さい店だからこそわかる時代性があって、それを感じ取って、一歩先んじた提案をする。小さい店をやる意味ってそこにあるんじゃないかと」

2019年、久保田さんは前職のつながりでパンの市場調査の仕事でベトナムを訪れ、多くのパン屋を巡りました。

「向こうは活気があって、小さい店でも大きな未来の話をしていました。営利の仕事をしているんだけど、持続的に社会に貢献していくという考えも当たり前のように持っている」

彼らの目の輝きが今でも印象に残っています。

「お金を稼がなきゃいけないのはもちろんなんだけど、僕らが動くことで目に見えてお金が地域で回るとか、そういうほうが気持ちいい。食べる人も、うちにきてこの素材も群馬、この素材も前橋、群馬っていろいろあるねということを知るきっかけになって、ひいてはここに住んでいる自分を自己肯定することにつながるんじゃないか。こういう小さい店に入ることで、その地域を知るきっかけになる、そんな場所になればいいなと思います。その提案がないとやる意味がないと思うし、そこが面白いからやれています」

hearthは暖炉のことで、hearth and homeで「家庭」を表す慣用表現。パン窯を中心として生産者やお客さんが集いあたたかな場を築く、そんなイメージも想起させます。

CROFT BAKERY(クロフトベーカリー)

住所:群馬県前橋市日吉町2-5-1 みずき館1F

TEL:027-257-9052

営業時間:11:00~18:00

定休日:日曜、月曜、木曜

www.facebook.com/CROFTBAKERY

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